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私の帰国に合わせて、かどうかはわかりませんが、開かれたクラス会。
2年前の卒業式で送り出したみんなは、ちょっと大人になっていました。 「先生、おれもう結婚できるよ!」って、今年18歳になるんだね、君たちは。 18という年齢と君たちの存在はあまり結びつかないような気がするんだけど・・・。 中学ではできなかったおしゃれをしたり、バイトをしたり、 中学から続けた部活動にはげんだり、いろいろなことがあった2年間だったことでしょう。 今年はまた進路選択の年ですね。自分の夢に向かってがんばってください。 どんな道に進んでも、「全力」を尽くして。 今日はみんなに会えてよかったです。 久しぶりに見たみんなの笑顔からパワーをもらいました。 今年は中学3年生の担任。 君たちのようにかわいい(?)生徒たちのために、 明日からまたがんばろうと思いを新たにしました。 # by snowy-simosha | 2008-04-04 23:35
約4ヶ月の活動記録の更新もないままに終わってしまった、ウズでのブログ。
4ヶ月、何もなかったわけでは決してなかったのですが、記事をまとめ、更新する時間と余裕がなかったです。4ヶ月、いろいろありました。時間的には前後しますが、ウズでの生活を紹介する記事として、またすこしずつ書いていきたいと思っています。 帰国して10日。今日は冷たい雨です。 出かけなくてはいけない用事はあるのですが、「雨降ってるし、やんだらにしようかなー」と考えてしまう・・・。ここはウズじゃない!(明日からは正式に勤務が始まるので、そんな事は絶対にできませんが) でも、天候、自然に左右される、合わせる、そんなウズの生活は自然に対してやさしい気持ちをもてるようになる気がしていました。 自然を大切にする気持ち、(守る、というのは人間が上のようでしっくりこないかも) 自然に感謝する気持ち、は自然とともに生活していれば自然に生まれるものと感じます。 # by snowy-simosha | 2008-03-31 09:34
今日まで何度この挨拶をかわしたことでしょう。
日本語でいえば「いってらっしゃい」でしょうか。誰かがどこかへ行くのを見送る時、人と別れる時に使う言葉です。行く場所が遠くであろうが近くであろうが関係なく、日常的に使います。仕事への行き帰り、バザールでも、友達の家へでも、出張でほかの地方へ行く時も、何度となくこうやって送ってもらったし、自分も言いました。実際毎日の仕事から帰る時も、帰る人には必ずこうやって声をかけあいます。 直訳すれば「よく 行ってください」。日本語を勉強する私の同僚が、最初の頃この直訳で私に声をよくかけるので、「日本語ではそういわないよ」と訂正した覚えがあります。 今、私は日本に帰ります。 最後に職場を去る時も、ほんとうにいつものようにこうやって声をかけてくれた同僚の人たち、子どもたち。いつもの言葉と、いつもとはちょっと違う涙の別れ。毎日毎回使う言葉なので、現地の人は、そこまで重い意味を込めて使っているわけではないかもしれません。でも、私にとっては、「よく 行ってください」の意味が心に響きました。 # by snowy-simosha | 2008-03-20 17:48
来たばかりの時は、こんなにさみしい気持ちになるとは想像もしていませんでした。「私はいったいなにをやってるんだろう?何のためにここにいるんだろう?」と涙して見上げたサマルカンドのいつも抜けるような青い空を、今は悲しみの涙で見上げています。
職場では納得のいかないこともたくさんあって、仕事からの帰り道、ひとりで、「ちきしょう○○、今に見てろー」とつぶやいた日もたくさんありました。 仕事以外でも、「それはないでしょ!?」という人々の考え方に怒りをぶつけたりしたこともありました。 でも、約2年を過ごすうちに、少しここの人たちの考え方がわかってきたり、いいなーと感じられることも増えてきたような気がします。 職場では挨拶をして出てくることができたのですが、きちんとさようならを言えなかった人たちもたくさんいます。でも考えてみればこんなにたくさんの人にあいさつをしたいと思うのは不思議なことです。 いつも買い物をしたバザールの人たち、近所の人たち、通い続けたネットカフェの人たち、毎日通勤で顔をあわせた通勤路の人たち、半日修業させてもらったもらったソムサ屋の人たち、パン屋の人たち・・・。 ここでは人と人との距離が近い。でもその分別れはつらいです。 少し不便なことがあっても、ないものがたくさんあっても、おみやげやさんの性質が悪くても、私はサマルカンドが好きです。 # by snowy-simosha | 2008-03-20 17:47
先日、アジア開発銀行の役員の人たちがサマルカンドを訪れました。詳しい仕事の内容はわかりませんが、カリモフ大統領の出身校である、21番学校を訪問するとのこと。役員の中には日本人がいるということで、私たちの学校の子どもたちに日本語を発表してくれとの依頼が来ました。そんなこんなで、私たちの学校の子どもたちは、校内でのセレモニーをはじめ、いろいろなところで日本語を発表しています。先日も憲法記念日の劇場での式典に呼ばれました。日本語を発表してくれと。サマルカンドでは外国語大学、観光カレッジ、言語センター、リツエイで、日本でいう中学校・高校くらいからの日本語教育機関があります。幼稚園や小学生から日本語を使って活動しているのは私たちの学校のみ。(私は日本語教育というよりは情操教育ととらえていますが)きっと意味などわからない(教えてますが、一応)日本語をかわいらしく歌って踊るのです。教えていながら、これじゃー見世物じゃないか!といつも矛盾を感じる。でも、子どもたちにとって発表の場があり、多くの人に見てもらってよろこんでもらってほめられるというのは、悪いことではないのかなーと前向きに考えたりしてみます。何より、子どもたちは楽しそうだし、やる気満々なのです。
# by snowy-simosha | 2008-01-06 16:25
今回はまず、校長先生のもとへ。事務所からの電話の効果もあったのか、入校許可が出ました。ただし、教務の先生の付き添いのもと。これでやっと教室に入れることになったのです。ひとたび授業になってしまえば、外国のことに関して興味津々の生徒たちとの交流は、何の障害もなく進み、日本の生徒たちからの手紙によろこんで返事を書いてくれることになりました。授業では先生が私をゲストとして紹介。自己紹介の後は質問タイム。質問に合わせて日本のことを少し紹介しました。毎度のことながら、このような状況では日本についてちゃんと知っておかなくてはいけないと考えさせられます。なかには「国歌をうたってください」というのも。えっ・・・とは思いつつもここで歌わないわけにはいかず、黒板の前でひとりで国歌斉唱。(最初の部分のみ。ゆっくりで、暗くて、長い、というのは伝わったはず)お返しにということで、生徒たちも自分たちの国歌を歌ってくれました。また、日本の国旗とウズの国旗を並べてFRIENDSなんて黒板に書いてくれたりと、たった1時間でしたが、こころあたたまる交流ができました。
![]() ![]() # by snowy-simosha | 2008-01-06 16:24
着いたところは県の教育委員会。ショイラさんと会って挨拶をかわし、ことの成行きを説明すると、今度は何と、国民教育省(日本でいう文部科学省)の許可がいるというのです。
はー、知り合いだからってなんとかなるって思ったのは甘かった。そんなに大ごとなの?と疑問をなげかけると、私が電話して聞いてあげるから、と言います。結局その日は電話が通じず、週明けもう一度結果を知らせるから、ということで、その日は終わりました。 後日、一体どうなったのか、後日ショイラさんに問い合わせたところ、何と今度はJICA事務所から国民教育省にお願いの文書を送ってもらいなさいというのです。それをうけて国民教育省が許可の文書を出すと。そんなことしてたらいったいいつになるのよ・・・。事務所がかかわる問題になってしまったため、ここで、事務所に相談の電話を入れました。結局、一度事務所から直接学校側に電話を入れてもらいましたが、許可をもらってきてほしいということは変わらなかったようです。でも、私に任期も残りわずか、日本との手紙のやり取りには時間がかかるということも考え合わせると、一刻も早く動きたい!もう一度校長先生に会って話を聞いてもらおう、許可文書の件は事務所に任せて、後でもしかたない、と考え、再び学校にむかうことにしました。 # by snowy-simosha | 2008-01-06 16:21
市の教育委員会に行くと、知り合いの人が働いていて、その人が学校に電話をしたリ、いろいろと対処してくれたのですが、残念ながら、許可は出ず、そこで一番偉い人の指示に従わなくてはいけない様子。長の方にどうしたらいいのかと聞くと、その人も困って、県の教育委員会に電話。電話に出たのは以前知り合いになったショイラさんでした。知り合いだから何とかなるかも、と思ったのがまちがい。電話を切るなりその人は私に言います。「ショイラさんはお前にずっと会ってないって言ってさみしがってるから、会いに行ってこい」と。っていうかそうじゃないでしょ、話は。「いったい私は何をすれば許可が出るの?いったいどこが許可を出してくれるの?ここで許可もらえるんじゃないの?」とたたみかけると、「なんだ、ショイラさんに会いたくないのか?」ってそうじゃなくて・・・。結局はショイラサンのいる県の教育委員会に行くことになったのでした。
# by snowy-simosha | 2008-01-06 16:17
「日本の中学生とウズベキスタンの子どもたちをを交流させることができないか」ということを考えました。持ちかけてくれたのはある日本の中学校の先生。こういうことってこちらはしたいと思っても相手は望んでいるのか、日本の忙殺された中学校の現場の状況がうまく把握できない現在の自分の立場からすると、自分からはなかなかできないものなので、この相談はうれしいものでした。どちらの母国語でもなく、どちらも勉強中の英語での文通です。どうせなら同じ年同士のほうが親近感もわくだろうと、相手先の中学2年生に合わせて中学2年生を探しました。残念ながら私の配属先は小学校4年生までなので、サマルカンド市内にある英語教育に力を入れているという学校へ。この学校、日本大使館の無償資金援助を申請している学校で、かつて大使館の方の視察時の仕事に同行させてもらった時にこの学校の存在を知ったのでした。日本の支援、私たちが通常知るはずもないいろんなところで行われているものなのだということを知りました。そして、まずは英語の先生と知り合いになるべく、学校の門をたたいたのでした。
# by snowy-simosha | 2008-01-06 16:13
無事(JICA事務所あてに)手紙が届きました。授業時間の打ち合わせも電話でしていて、手紙を持って再び学校を訪れると、やはり入口で止められ、先生を呼び出してくれることに。でも今回は何やら様子がおかしく、先生と一緒でも中に入るのはまずい、校長先生に許可をもらわないと、という話になりました。ま、それも当然の話なので、じゃ、今から一緒に行きましょうと、二人で校長先生のもとへ。事の経緯とやろうとしていることを説明したのですが、なんとここで、「教育委員会の許可がいる」と言われてしまったのです。
なんでも、外国人が教室に入って勝手に授業をしてはいけないとのこと。「そんなにおおごとなの?」という疑問を抱えつつも、ここまできたら引き下がるわけにはいかないので、その足で教育委員会へ向かいました。 # by snowy-simosha | 2008-01-06 16:11
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